入院

時すでにお寿司

あけぽめー。御久し節でやんす。カワンパスでやんす。←古い。とゆー訳で、12月31日から1月4日まで帰省してをりました。近年は毎年帰省して居るんですのよ。マイ爺婆が結構な御歳なので、会えるのも今年が最後鴨と顔を拝みに行くためです。

で、去年の〆くくりに聞かされた話が、御婆様が末期のすい臓がんで余命2ヶ月だとゆうこと。きゃー。でも、意外と驚きませんでした。上記の通り予想はしていたしね。もう83歳だしね。ちゅーことで、今年は近日中に2℃目の帰省がほぼ確定な訳です。面倒臭えな。←鬼畜。

元旦に入院ちうの御婆様を御見舞に行ったのですが、もう半分死んでる感じでした。僕のことも判ってるのかどうなのか、病室に着いて5分足らづで「バイバイ」とゆわれました。痴呆症の方もハイスピードで進行ちうです。帰り道、腰の悪い御爺様は歩くのがゆっ栗。マイ両親はさっさと先に行ってしまうので、僕がペースを合わせて一緒に歩く。もう手を貸してやりたくなるくらいなんだけど、たぶんそれは嫌がりそう。元気な頃の御爺様はガタイが良くて力持ちな感じの人だったから、そーゆーのはプライドが許さないだろうとか考えながら。

その後は普通に、酒を呑ったりおせちを喰ったり酒を呑ったり寿司を喰ったり酒を呑ったり焼肉を喰ったり酒を呑ったり酒を呑ったり酒を呑ったりといつも通りの正月を過ごしました。

男は船・女は港

傷だらけのテーブルとゆーわけで,前回の日記からかなり時間が経ってしまったんですけど,続きです。

マイ妹の結婚式では,お婆様のボケ具合を確認できたことがいちばんの収穫でした。どれくらいボケていたのかとゆうと,帰りに立ち寄ったレストランで料理が来るのが遅いことに腹を立てて厨房に乗り込むくらいです。お婆様曰く「忙しいんだから早くして」とゆうことですが,帰っても何もすることないでしょう。

で,その数日後にお爺様の肺に水が溜まって緊急入院です。お婆様の一人暮らしは心配なのでしばらく我が家へ来ることになりました。一緒に暮らしてみて改めてボケ具合に愕然。これはもう介護ヘルパーとか必要なんじゃないかと真剣に考えるマイ母とそんなの絶対にダメだとゆうマイ父が大喧嘩。マイ両親の喧嘩を見るのは何度目でしょう。家のいろんなモノが壊れました。テーブルも写真のように傷だらけの天使です。

喧嘩は離婚話にまで発展したのですが,いつものように2〜3日経てば何もなかったことに。喧嘩中はお婆様は留守にしていたのですが,帰ってきてテーブルを見て傷をこすりながら一言。「この汚れ落ちんわ」

1週間後,お爺様は無事退院し,お婆様も家に帰りました。そして新婚旅行から帰ってきたマイ妹夫妻が我が家へ遊びにきました。テーブルを見て一言。「この傷どうしたの?」家族一同聞こえないフリです。

そんなこんなの波瀾万丈の日々,僕はコッソリ引越しの準備を進めてをりました。夫婦喧嘩に付き合うのがイヤになったとか,お婆様の介護をしたくないとか,そうゆうことではないんですけど,まあアレですよ。都会への憧れ。とゆーわけで今度の引越し先は大都会です。ビルの谷間です。そして引越すのはあしたです。きゃー。日記なんて書いてる場合じゃありません。荷造りが終わりません。現実逃避です。でも,みんなそうだと思うけど,引越しの前日って徹夜ですよね?それが普通だよね?