骨折入院日記(6)

夜中にお隣さんが急変したことがありました。カーテン越しに引きつるような叫び声が聞こえたんです。これわもしかし鱈一大事なのでわないか。代わりにナースコールをしてあげるべきか。でも、ちょっとした痛みで大声を出す人も居るし、悩みます。

すぐに異変に気付いた看護師が駆けつけました。僕からは音しか聞こえないのだけれど大変な事が起きているのはわかります。何人もの看護師が駆けつけて、何か処置をしています。患者に取り付けられた機械はピコンピコンと音を鳴らしていますが、たまにビービーヤヴァそうな音が出ます。患者は暴れています(見えないけど)。血しぶきが飛び散ります(見えないけど)。まるで救命病棟24時です。不謹慎ながら枠々してしまいました。

しばらくして、患者は病室の外へ運ばれていきました。他に空いている病室は無いはづなので、廊下で処置をしているのでしょうか。同室の我々への気遣い鴨知れませんが、今更寝れねえよ。遠くから声が聞こえます。医者がやって来て看護師と言い合いをしています。看護師の判断ミスで初動対応を誤ったのでわないか的な事。今其れはいいから、お爺ちゃんを助けてあげて!

其んな此んなで、お爺ちゃんは一命を取り留めたようです。元の病室には戻ってきませんでした。重症の患者や手のかかる患者はナースステーションの近くの病室に入るのです。こんな感じの病室の引っ越しはよくあります。空いた隣のベッドには誰が来るのだろう。またもや認知症のお爺ちゃんでした。ちゅーか、病院には大体お爺ちゃんしか居ません。

2月16日、僕は一人でトイレに行けるようになっていました。だからなのか、とうとう僕も病室を引っ越すことになりました。ナースステーションからいちばん遠い部屋です。そしてその部屋で驚きの光景を目の当たりにしたのです。つずく。

骨折入院日記(5)

手術後2日目で麻酔を抜きました。徐々に自分の足の感覚が戻ってきます。入院生活にも慣れ、スマホでゲヱムをするくらいの余裕はできました。

転院して、前の病院よりは静かだと最初は思って居ましたが、隣の御爺さんはナースコールが何処に有るか分からなくなって大声を出すし、斜向かいの御爺さんは10分おきにトイレに行きたがるしで、其れなりに騒がしかったです。

2月10日から12日は3連Qでした。皆様は如何御過ごしでしたか。入院患者にとって休日とゆうのは無駄な時間以外の何物でもありません。医者は休むしリハビリも休みだしで、退院へ向けてのいろんなことがストップします。土日祝日がなければ、あと1週間早く退院できたのでわないでしょうか。

2月15日木曜日、シーネを外して装具を付けることになりました。これで膝を曲げることができるように成増。膝の絆創膏を剥がして、はぢめて手術の傷跡を見ました。写真を撮り忘れたのでイメーヂ画像でどうぞ。

なを、フランケンシュタインとゆうのは博士の名前であって怪物の名前でわありません(お婆ちゃんの知恵袋)。そして、装具を付けた様子が此れです。

此の装具、弐萬伍阡圓もするんですよ。保険が適用されて七阡伍百圓の負担とは云え、高い買い物です。次に骨折した時にまた使えるので、大事に保管してをきたいと思います。

骨折入院日記(4)

2月6日火曜日、いよいよ手術です。午前9時に始まって3時間かかるそうです。朝から何か点滴を打ちます。ベッドに寝たまま手術室へ向かいます。途中、ヱレヴェーターで同じく朝一で手術の人と一緒になります。その人は自分で立って歩いてました。よし俺のほうが重症だとなぜか勝ったような気分になりました。

手術室に入って全身麻酔です。横になって、背中丸めて、何か刺されて、酸素マスクみたいの付けられて、名前を呼ばれて目が覚め鱈、全て終わってました。全身麻酔ってすごいね。

6時間かかったそうです。先生は御昼御飯を食べそびれたんぢゃないかと心配してしまいます。ちなみに僕は一日何も食べられません。不味い病院食でも食べられないとなると寂しいものです。

腰にチューブが刺さっていて、手術をした右足の感覚がありません。硬膜外麻酔とゆうやつらしいです。触ってみても水風船みたいで自分の足ぢゃないみたいです。そしてなんと知らないうちに尿道カテーテルが装着されて居ました。きゃー。初めての尿瓶に続くショッキングな出来事です。しかし慣れてみるとこれは便利です。尿意を催すこと無く自動的に排尿することができるのです。健康体でも常に付けて居たい。そう思いました。

手術後の足はこんな感じです。

一見、ギプスと変わらないようですが、シーネという副え木を脚の裏から当てて包帯で巻いて居ます。名前が縁起悪いですね。死ーネ。