病気・怪我

骨折入院日記(4)

2月6日火曜日、いよいよ手術です。午前9時に始まって3時間かかるそうです。朝から何か点滴を打ちます。ベッドに寝たまま手術室へ向かいます。途中、ヱレヴェーターで同じく朝一で手術の人と一緒になります。その人は自分で立って歩いてました。よし俺のほうが重症だとなぜか勝ったような気分になりました。

手術室に入って全身麻酔です。横になって、背中丸めて、何か刺されて、酸素マスクみたいの付けられて、名前を呼ばれて目が覚め鱈、全て終わってました。全身麻酔ってすごいね。

6時間かかったそうです。先生は御昼御飯を食べそびれたんぢゃないかと心配してしまいます。ちなみに僕は一日何も食べられません。不味い病院食でも食べられないとなると寂しいものです。

腰にチューブが刺さっていて、手術をした右足の感覚がありません。硬膜外麻酔とゆうやつらしいです。触ってみても水風船みたいで自分の足ぢゃないみたいです。そしてなんと知らないうちに尿道カテーテルが装着されて居ました。きゃー。初めての尿瓶に続くショッキングな出来事です。しかし慣れてみるとこれは便利です。尿意を催すこと無く自動的に排尿することができるのです。健康体でも常に付けて居たい。そう思いました。

手術後の足はこんな感じです。

一見、ギプスと変わらないようですが、シーネという副え木を脚の裏から当てて包帯で巻いて居ます。名前が縁起悪いですね。死ーネ。

骨折入院日記(3)

病院食は不味いなんていうのは一昔前までの話で今はちゃんと美味しいものが出ると思ったら大間違いです。味が薄いんですよ。一日あたりの塩分摂取量が決められているからということですが、だったらなぜしば漬けを出すのか。漬物は要らないから、その塩分でメインディッシュの味をどうにかしろよ。ヌー!

ある日の朝食は焼き豆腐の煮物でした。煮物と云っても味なんか無いんです。味のない豆腐で飯が喰えるか!そう叫んでちゃぶ台をひっ栗返し、重いコンダラを引っ張りたくなりました。

其んな此んなしてる中、看護学校の学生が実習に来るとのこと。そのうちの一人が僕の担当に成ってもいいだろうかと依頼されました。看護師の説明によると毎日検温したり血圧を計ったりするらしい。軽い気持ちでOKしてしまったのですが、検温どころか、着替えもしてもらうことに。当時の僕はギプスで脚が棒でしたから、自分で御パンツを脱ぎ履きすることもできません。二十歳くらいの女子にそれを手伝ってもらうわけです。なんとゆう羞恥プレイでしょうか。

ちゅーことで、手術日は2月6日に決まりました。

骨折入院日記(2)

1月29日月曜日、入院2日目です。改めてレントゲン撮影とCTスキャンをしたところ、結構滅茶苦茶な骨折で手術が必要とのこと。昨日は手術の必要はないと言ったのに、ヤブ医者め。ちゅーか、日曜月曜と整形外科の先生が休みのため、ちゃんとした診療は火曜日になるらしい。その間、僕は放ったらかしですよ。

1月30日火曜日、夕方になってやっと先生に診てもらい、ギプスを付けて呉れました。

ご覧の通り、踵から太桃までの完全装備です。これでようやく痛みから解放されました。そして、どうやっても膝が曲がらない(=痛くならない)とゆう安心感。松葉杖でトイレにも行けるようになりました。素晴らしいです。ギプスを発明した人はノーベル賞を受賞したのでしょうか。今からでも遅くないと思います。

さて、僕の家は平塚にあるため、遠く離れた新宿で手術をし、さらに何週間も入院をするのは心細い。とゆー訳で、地元の病院へ転院することにしました。2月1日木曜日、転院です。

新宿の病院は、良く云えば庶民的なところでした。転院先は大病院です。毎日体を拭いて呉れて着替えもできます。隣からうん子の臭いが漂ってくることもありません。6人部屋を4人で使ってをり広々としています。ベッドの横に車椅子を置く余裕もあります。地獄から天国へ。

消灯時間は、隣の御爺様が多少声を出していましたが、それも一時的なものでした。概ね静か。そして何か物足りなさを感じる私くし。嗚呼、僕は前の病院でお隣さんが一晩中騒いでいるのを迷惑がる素振りをしながら、実は楽しんで居たのです、アーメン。静かすぎて寝むれません。←と思ったのは初日だけでした。