普通の日々

被曝してきました

フジロックのリストバンドなんとか引越しも無事に終了し,片付ける暇もなく27日はフジロックに行ってきました。とゆうのも,僕の大好物である the cure 御一行様が23年鰤に来日したからなのですよ。

前日は緊張して寝むれないかと思いきや,酒の力でグッスリでした。グッスリしすぎて駅に着いたのが新幹線出発の3分前だったのは時間の無駄使いを極力減らした効率的な行動パターンの見本とゆえるでしょう。

で,昼過ぎに苗場の会場に到着。お目当てはキュアー様だけなので,取りあえず,喰ったり呑んだり喰ったり呑んだり呑んだり呑んだり(ヱンドレス)。適当に Ocean Colour Scene とか Muse とかを遠巻きに観ながら,キュアー様の出る時間には最前列の檻で囲まれた基地外隔離領域モッシュピットへ。そこでトラヴル発生です。トイレに行きたくなりました。まだ始まってなかったので急いで檻から出ようとしたところ,出口は反対側だとスタッフが言います。こんなに混んでるのに向こう側までいけるわけねえだろうが,このヴォケ!と心の中で思いながら我慢することに。

ちゅーか,キュアー様のあまりの素晴らしさに尿意もどこかへ吹き飛びましたよ。また日本に来てください。23年後に。

さて,会場に入るときにリストバンドをもらうのですよ。これがフジロッカーの証明になります。これを腕にはめてきゅーっと締めると二度と緩まない仕組みになっています。ハサミで切らないと外せないんですね。でも切らないで記念にとっておきたいぢゃないですか。リストバンドを切るか腕を切るか真剣に悩みました。結局は写真のように手をすぼめて外せましたが,親指を脱臼するかと思いました。

男は船・女は港

傷だらけのテーブルとゆーわけで,前回の日記からかなり時間が経ってしまったんですけど,続きです。

マイ妹の結婚式では,お婆様のボケ具合を確認できたことがいちばんの収穫でした。どれくらいボケていたのかとゆうと,帰りに立ち寄ったレストランで料理が来るのが遅いことに腹を立てて厨房に乗り込むくらいです。お婆様曰く「忙しいんだから早くして」とゆうことですが,帰っても何もすることないでしょう。

で,その数日後にお爺様の肺に水が溜まって緊急入院です。お婆様の一人暮らしは心配なのでしばらく我が家へ来ることになりました。一緒に暮らしてみて改めてボケ具合に愕然。これはもう介護ヘルパーとか必要なんじゃないかと真剣に考えるマイ母とそんなの絶対にダメだとゆうマイ父が大喧嘩。マイ両親の喧嘩を見るのは何度目でしょう。家のいろんなモノが壊れました。テーブルも写真のように傷だらけの天使です。

喧嘩は離婚話にまで発展したのですが,いつものように2〜3日経てば何もなかったことに。喧嘩中はお婆様は留守にしていたのですが,帰ってきてテーブルを見て傷をこすりながら一言。「この汚れ落ちんわ」

1週間後,お爺様は無事退院し,お婆様も家に帰りました。そして新婚旅行から帰ってきたマイ妹夫妻が我が家へ遊びにきました。テーブルを見て一言。「この傷どうしたの?」家族一同聞こえないフリです。

そんなこんなの波瀾万丈の日々,僕はコッソリ引越しの準備を進めてをりました。夫婦喧嘩に付き合うのがイヤになったとか,お婆様の介護をしたくないとか,そうゆうことではないんですけど,まあアレですよ。都会への憧れ。とゆーわけで今度の引越し先は大都会です。ビルの谷間です。そして引越すのはあしたです。きゃー。日記なんて書いてる場合じゃありません。荷造りが終わりません。現実逃避です。でも,みんなそうだと思うけど,引越しの前日って徹夜ですよね?それが普通だよね?

栗はフルーツである

この2週間くらいの間にイロイロなことがあり杉てもう。取り敢えづ箇条書きにしてみます。

  • 結婚式
  • 認知症
  • 入院
  • 引越し
  • 夫婦喧嘩
  • 離婚

まづ,6月19日はマイ妹の結婚式で長野まで行ってきました。朝の5時半に自宅を出発ですよ。いや6時半だった鴨。←忘れるんだから日記はその日のうちに書きましょう。

お爺様とお婆様も一緒に行ったのですが,お婆様の着てきた服がなぜかボロボロ&手編みのちゃんちゃんこ。マイ父はもうカンカン。かなりボケが進行して居るようです。もう80歳ですから。

式場に着いて親族の控え室へ。そこには飲み物とお菓子が。なんと魔性の呑み物ウヰスキーも有鱒。次々と水割りを作りはぢめる親族たち。そして僕はロックで。あっとゆう間にデキャンタは空になり,おかわりをもらう始末。

肝心の結婚式と披露宴がどうだったのかはよく覚えてをりません。←控え室で呑りすぎです。

つづきはまた今度。